われわれの時代に,科学技術は大きく進展した。
洗濯機,冷蔵庫,そして,テレビとわれわれの生活は便利になった。
公害があったが,全体として生活が向上しているという実感があった。
そして,様々なものが開発され,そのエネルギーは石油に支えられて来た。
しかし,人間不思議なもので(理にかなっているけど),生活が便利になると,ハングリーさがなくなる。
そして,ちょっとやそっとのことでは「幸せ」を感じなくなり,幸せに鈍感になる。
(詳細は,「幸せの相対論」を参照して下さい)

一方,科学技術は進歩して来た。
しかし,鈍化して来た人間の幸福を満たすために,指数関数的に伸びる増殖型の技術が求められる。
それは,核であり,バイオであり,学習、進化であり,まさに現代注目を集めるものである。
しかし,倍倍と増える大腸菌の増加がすごいのと同じように,指数関数的な変化は
予測を超え,「制御不能」となる可能性が高い。
そして,それらは一旦間違うと世界に大変な害を及ぼす可能性を有している。
東日本大震災による原発事故は,まさにその警鐘であると考えることができる。
また,人間より賢いロボットができたら,大変なことである。
技術的特異点ということが言われて,機械の知能が人間の知能を超える日が近々来る
のではないかと言われているのに,なぜか人間は寛容である。
ロボットに仕事を奪われるというレベルではない。
ターミネーターのようなことになる可能性もかなりある。

以上を総合すると,下の図のように,

科学技術の「功」の上昇は,だんだん鈍って来て,一方,科学技術の「悪」が
だんだん増大して来ている。
そして,これが逆転する日は近い。いや,もう過ぎているのかもしれない。

われわれは,今まで,無条件で科学を礼賛してきた。
しかし,それはもう終わるべきではないだろうか?
それを見通すことが人類の叡智という気がする。

増殖型の技術だけではない。
BMI (Brain Machine Interface)技術や,そもそも,過度の医療も
障がい者のため,病気を治して長生きするためという大きなメリットがあるが,
そのために失うものの大きさも天秤にかけて考えなくてはならない。

科学者の責務は,自らの研究成果を広く社会に公表することと言われている。
しかし,一旦世に出た技術は悪用される可能性があるし,
いずれの技術も,「制御不能」になって人類滅亡につながりかねない大きな問題を はらんでいる。
したがって,これからの科学者は,単に社会に公表するというだけでなく,
ある程度は自らも責任を負い,「やらない」そして,場合によっては少々「後戻りする」勇気が
必要なのではないかと思う。
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